はじめまして。
いや、お久しぶりです。
まじめな方の俺です。
朝、目が覚めたらバイトの時間ギリギリ
急いで歯磨きしたり準備して
バイトに向かうために単車にまたぐ
エンジンがあったまってもいないのに発進しようとするもんだからエンスト寸前のまま走行を続けて
着いたら着いたで急いで着替えて手を洗ってキッチン作業
休憩をはさんで22時の終了時刻を過ぎても仕事が残ってて
残業済ませたら23時半
帰宅したらハロゲンヒーターのスイッチを入れてジャージに着替えて
冷蔵庫から野菜を出してやきそば作って
PCのメールやらmixiやらを確認しながらそれを食う
気がついたら2時で寝ようかと思っても目がさえてるから外に出てタバコを1本吸って
寒い夜空を見上げながら「俺こんなんでいいのかよ」って呟いてる
次の朝もその次の朝もそれの繰り返し
一人でいるときは考え過ぎる
バイトの時給は1000円程度
一日に8時間くらい働くわけだから1日に稼げる給料は8000円程度
俺達が1日に生み出している経済効果は1万5千円くらいだから
差額の7000円は何もしていないやつらに取られているってことになる
こんなこと思いたくないけどやっぱりこの資本主義社会では勝ち組負け組がしっかり分けられているわけで、使う側と使われる側に別れているんだよ
俺たちの大半はそのチェスのプレイヤーじゃなくて駒の方で
「年収1000万が2000万になったぜ!やっほー!!」
って喜んでいる時点でそれはもう使う側のやつらに洗脳されているんじゃないのかな
不景気だ不景気だって言うけれど
実際に強い影響を受けているのは富裕層の人々であって俺達駒の人々はせいぜい時給が100円下がったとかそんなものだろう
そして一番最下層の人々からクビを切られる
景気を左右しているのはそんな富裕層の人々の行動であって俺たち一人一人がどうにかできるものじゃないんです
じゃぁその富裕層の人々は学歴が高くて超エリート級のエリートなのかって言ったらそうでも無くて
特に学歴なんて関係ないし
もちろん学歴はあったことにこしたことはないけれど
我々が学校で受けてきた「教育」とやらは、言われたことや教えられたことをいかに多く、そしていかに正確にできるかが重要なのであって
その能力の優れたもののには高学歴がついてくる
こうしたシステム自体が「使われる人」を作り出すものになっているんじゃないのかな
高学歴ってのは「使われる力」が優れているっていうことになるんじゃないのかな
じゃぁそんなシステムが働いているこの世の中でどうなりたいのか
その勝ち組になって100億200憶の大金を、社会全体を動かすようなモロ勝ち組にななれるために頑張ればいいのかっていうと
そう考える時点ですでに洗脳されてるし視野が狭い
もしかしたら他にもっと面白すごい選択肢があるかもしれないのにさ
なんか駄目だと思う
だからもっと発想の力を養うことが大切だと思うし、その力を鍛えることが必要なんじゃないのかと思う
言われたことを正確に行う力はもちろん大切
でもその力ではできないことが多すぎるんじゃないのかな
その力でできることってやりがいに欠けるんじゃないのかな
まぁ少し話変わるけど
物事は考え方一つで良くも悪くもどうにでもなるよ
俺は何事も無理やりいい方に持っていくのが得意です
つまり特技は
うそ
いいわけ
あとづけ
はったり
そんなとこ
あとはやっぱり中途半端さかな
今自己分析した特技を生かして自分の中途半端加減について考えてみた
俺は昔から何事も中途半端
勉強もそこそこ中途半端にできて
野球もそこそこ出来て中途半端
サッカーもバスケも
どんなスポーツもそこそこ出来て中途半端
ボーリングもテレビゲームもそこそこうまくて中途半端
図工の時間に絵を描いても作品を作ってもそこそこうまくてよくコンクールで入賞して表彰状とか貰ったりしてた
国語も数学も理科も社会も美術も技術も体育も成績は5段階評価でオール4
中途半端さだけは中途半端じゃない俺だけど
そんな中途半端が嫌に思った時期があった
小学生の頃は50メートル走でも負けたことなかったのに
高学年になったあたりからいつもつるんでいる親友に負けるようになった
自分は一番になれないのか
そう思って鍛えたりもした
体育大会では誰にも追いつかれないくらい早かった
でもそいつ一人だけにはかなわなかった
そいつは中学になったら全国大会で1位2位を争うようになって
結局中2だったか中3のときに200メートル走で全国2位
全国大会に出て活躍してるからいつかはオリンピック選手にでもなるんじゃないかって思ってた
でもそいつでも2位だった
あんなにぶっちぎりで早かったやつが2位かよ
上には上がいるんだってよく聞いてたけど
そのときはじめてその言葉の意味がわかった気がした
じゃぁそのさらに上のやつはオリンピックにでているのかって言ったらそうでもなくて
オリンピックに出れるのはそのさらに上
そしてオリンピックで勝てるのはそのさらに上
じゃぁオリンピックで優勝したやつが一番なんだっていったら
次のオリンピックでは別のやつが一番になって
前のオリンピックで優勝したやつなんか出場すらしていない
そんなんで一番目指して頑張って意味あるのかな
結局現在の世界記録保持者もいつか現れるすごいやつにその記録を塗り替えられる
そんなんだったら一番目指して誰よりも早く走ろうとしている俺は馬鹿みたいだな
きりがないだろ
って思ったのが中学3年生の時だった
野球でも高校になった時にやっぱりめっちゃうまいやつがいたし
ゲームで負けたことがなかった小学生の時もさらに強いやつがいつもそばにいた友達だったからゲームでも一番にはなれないんだって思った
どんなことでもそこそこ出来るまではめっちゃ頑張った
それはどんどん上達する自分が嬉しかったし何より楽しかったから
この前初めてスノボを体験したけど
一回滑るごとにうまくなるのを実感した
リフトに乗る回数だけどんどんうまくなるんだよ
でもこれにもいつか限界が来るんだろうなって思った
さらに上を目指そうと思ったらさらに時間をかけて練習したり勉強したりしなきゃいけない
でもそうすることで1番になれる保証はない
じゃあ上達するスピードや密度と楽しさや快感の効率が一番いいのは中途半端に鍛えたところまでなんじゃないのかな
って考えるようになったのはそのころから
何事も中途半端に強くなっていった
でも振り返ってみると
俺には死ぬほど頑張る根性がないだけでそうやって言い訳してただけなのはわかってるんだよ
殴り合いの喧嘩のときも中途半端
中1の時に別の小学校から来た柔道部のやつと些細なことから殴り合いのケンカをした
そのときも思いっきり殴らなかった
いや、殴れなかったんだと思う
自分のマジな一撃がどれだけ弱いのかを知るのが怖かったのかもしれない
何事にも本気になったことがないから言い訳ばっかりして頭でっかち
俺はそんななんですよ
人間は社会の中でしか生きられない動物である
一人では生きられないってこと
俺は生きている意味ってあるのかな
結局最後は死ぬんだぜ?
いま何しても何も意味ないじゃん
じゃ死にたいか?
っていう質問は発想する力がないっていうか視野が狭いっていうことだと思うけど
あーなんだかなーって思うよ
この世界は俺のためにある
父さんと母さんの存在も
俺が生まれたってことも
兄弟がいることも
空が青いのも
全部俺の世界の設定の一つだし、友達に出会うのもバイトを始めるのも俺の物語の設定がそうなってるんだよ
でもこうして考えまくるまじめな方の俺はそうやって考えることが好きだから考えまくているんだろう
けど一方でそうやって考えることが嫌いだからこうやってブログにでも書いてすっきりしたいのかもしれない
「病んでいるんじゃないの?」
そう言われるとそうかもしれないけどそうじゃなくてただこうやって考えることが楽しいだけかもしれないだろ
最後に
事故で死にかけたのも設定の一つ
彼女と付き合っているのも設定の一つ
設定された物語をどう生きていったってマジな自分になれないと思うんよ
中途半端な俺だからね
ただ
俺のことにマジになってる人だけにはマジになって接したい
と思うんです
こんな俺でもマジになって好きになってくれる
そういう人だけには中途半端になっちゃいけない
ここだけは中途半端になっちゃいけないっていう一線を持ちたいんです
「アルバイトなんて労働力の搾取以外の何物でもないやろ」
とかいってうだうだしている俺に
「だからよっくんは考えが甘いねん!」
って彼女に言われたり
たまに尊敬させられます
「だから?」
彼女の口癖です
だから
まぁみててくださいこれからの俺を
結局最後は俺が一番マジになっているじゅんこのお話でした(笑)
さぁバイト行ってきます!